求道blog

(メモ)糠に釘、豚に真珠、イヌに小判

Posted in 海外文学一般 by UBSGW on 2010年11月27日

私たちは悪党どもを罰しないばかりか、あの連中を咎めだてさえしないことによって、単にあの連中のささやかな老後を守ってやっているだけではない。私たちはそのことによって新しい世代から正義に対するあらゆる基盤を奪っているのである。

ソルジェニーツィン『収容所群島』

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シェイクスピア『ハムレット』

Posted in 海外文学一般 by UBSGW on 2009年1月30日

福田恆存の訳でハムレットを読む。実は初めて読んだ。
そもそも、シェイクスピアに限らず戯曲というものをほとんど読んだことがない。料理本を読んでも腹が膨れぬと同様、戯曲=ドラマの台本を読んだところでつまらん、と(シェイクスピアを読むまでは)思っていたのであった。恥ずかしながら「ハムレット」(父親の仇討ち)と「ロミオとジュリエット」(純愛もの?まだ読んでいない)の区別すらようよう出来ていなかったことに気づかされる。

劇は描写ではありません。「第四の壁」という演劇観は、シェイクスピアのうちには存在しなかった。一つの部屋の四つの壁のうち一つをとりはらって、観客に見えるようにしたものが劇だという考えほど、劇をつまらなくする考えかたはない。それなら観客は見ているだけです。のぞいているだけです。役者はのぞかれていることを知らぬふりをして、舞台と客席との間に壁があるごとく、すなわち人生そのままに芝居をするということになる。それなら、劇は描写です。(中略)が、シェイクスピア時代(中略)当時の観客が求めていたことは、同時にまたかれらに求められていたことは、劇中人物と同様の情熱を体験することだったのです。各場各場の展開にしたがって、刺戟と浄化の過程を味わうことだったのです。

福田恆存「シェイクスピア劇の演出」〜『ハムレット』新潮文庫より

ちなみにこの文庫本、文庫本の割りに付録が充実していて有り難い。福田による解題・中村保男の解説、上で引いた福田の演劇論、ほかにシェイクスピア戯曲の執筆年代、シェイクスピアの年譜も有り。

「シェイクスピア劇の演出」の最後に福田は次のように書いている。

シェイクスピアの原文は、ご承知のようにブランク・ヴァースで書かれております。(中略)が、翻訳では、ブランク・ヴァースの妙味はだせません。(中略)正直な話、日本語のシェイクスピアは、訳者の手にわたるまえ、すでにその美の九十パーセントは死んでおります。

同上

意外な言葉ではないが、「そこまで言う!?」という気もするので、実際に英文にもあたってみるとする。

それにしてもさすがにシェイクスピア関係のリソースは豊富。googleやwikipediaでざっと見ただけでも次々にヒットする。(日本)国文学にもこれに匹敵するものがあるのかどうか探してみよう。
折々、目を引いた台詞をこのブログに書き付けてみようか。

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男一匹犬一匹

Posted in 海外文学一般 by UBSGW on 2008年1月20日

ひところ暖かい日が続ゐていたがけふは雨。日本列島凍結か・・・。「たいへんだぁたいへんだぁ」
 ・・・・などと、ここで騒いでもはじまらないからやめるとしよう。ほんと寒いぜ。

私のお気に入りの作家の一人であるスタインベックの写真を見るたびに「イヌ顔だなあ」と思っていたんだが、じっさい彼は犬好きだったんだななどと『チャーリーとの旅』(ポプラ社 2007年)を読みながら思ったことだった。晩年の彼がプードル犬チャーリーと「ふたり」で全米を巡った際の紀行文。なぜ「ふたり」なのかはここには書かない。
ノーベル賞作家といい文豪というも、この作家のちょっとトホホ感の漂うユーモアらしきものはたとえば ”うつくしい日本の” OA とか KB あたりにもあるのだろうか。どうも無いような気がするな。
いやいや、ごちそーさま!

なおこの本の原題は "Travels with Charley"(1962) だが、その邦訳はなんだか若き日の著者の職歴にも似て紆余曲折を辿ってきている。bk1のデータベースによると弘文堂(1973) →サイマル出版会(1987) →ポプラ社(2007)へとなっている。
なんにせよ、良書が再び世に出たことを欣快とするものであります。

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