求道blog

2011年7月31日

Posted in 雑記 by UBSGW on 2011年7月31日

「ブログを書くのもけっこう気力・体力のいることであったのだなあ」と思う今日このごろであります。


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はい、ブログ更新記録更新。
そんではね。〆

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2011年6月26日改めパリサイ人

Posted in 雑記 by UBSGW on 2011年6月26日

べつに書きたいことがあるわけでもないが、今日書いておかないと2006年2月から続いていたこのブログの「連続更新記録」が途絶えてしまうので仕方なく何か書いておくとする。

当初はSeesaaブログで始めたこのブログ、時々勝手に挿入されるPRエントリがじゃまくさかったのと記事のバックアップにヒマがかかりすぎるようになったこともあり、遊び半分でレンタルサーバーを借りてWordpressを使うようになって今に至るわけだが、いずれにせよ2006年2月からということは都合5年と4ヶ月という前人未踏の驚異的な長期間にわたって書き連ねてきたわけである ((ここまで読み進んで冗談と気づいてもらえなかなかった貴方とはたぶん相性が良くないのだろうと思います。)) 。自分で言うのもへんだが大したもんだね。自分でもまさかこんなに長いこと続こうとは思いもしなかった。ついでにいうと、日数回の更新が日一回になり週一回になり、果ては月にたった一度の更新になろうとはこれまた思いもしていなかったよ。ま、それでも月次アーカイブを眺める限り2006年2月からきちんと毎月書いていることは事実なわけであって、またたしかに最低でも月に一回は(ちゃんと)更新しているので「連続更新記録」にウソ偽りは毛ほども無いわけである。ちなみに「そういう書き方だとふつー毎日更新のことだと思うだろ、おいコラ」と思うような人とはやっぱり相性が良くないのでありましょう ((ここまで読み進めてもまだ冗談だと気づいていただけなかった貴方とはたぶん単に相性が良くないというよりも多分(潜在的/顕在的)敵対関係にあるのだろうと思います。)) 。

さて、とりあえずこのくらい書いてみればたいていなにがしか話の接ぎ穂(ネタ)が自家発電的に拾えることは、不肖UBSGWの5年もの長きにわたる(しつこいな)ブログ経験から体得しているところのものであり、たとえ原子力発電所が爆発しても(爆発したけどな)、石油の輸入が途絶えて火力発電所がただのオブジェと化しても、まったく一切金輪際なんの問題もないのでありますな。で、今日のお勧めネタは「普通について」といきたいところだが、こういう自家発電ネタはまず十中八九ネタそのものとしては安物であって、冷蔵庫の奥から引っ張り出してきたあり合わせのものでちょっとした料理を作るのと同様のちょっとしたアイデア、ちょっとしたヒネリを加えなければ面白くもクソも無いものであるので、ほぼ二月ぶりにブログを書かんとする私にはそれをする勇気が無い。というのはむろん言葉の綾であって、正直に言ってしまえばまあアイデアがないしそもそも文章を書くのも億劫であります。運動不足のくせに変に格好つけて「ヒネリ」でもすると下手をすれば怪我しかねない。「海のものとも山のものともつかぬ」「目鼻のつかぬ」ことにこうしていつまでも時間を費やすくらいならいっそ「海のものは海へ、山のものは山へ」とでも言い残してさっさと立ち去るほうが賢明であるとイエス・キリストも言うておられたはずである ((キリストが言ったというのは半分だけ冗談です。蛇足。)) 。

こういうふうにつらつらくどくど書かせていれば一日中でも書いておられることは私の「自慢」とするところのものの一つではあるが、このところ日本ではこういう冗談すら「節電の敵」「非協力的廃人」ようは変人キチガイの所業と見なされかねぬようなご時世になりつつあるように見受けられることは、全く以てわたくしの遺憾とするところであります。

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死に体の死にたい

Posted in 雑記 by UBSGW on 2011年2月22日

どうぞ。

(前略)首相は22日夕、首相官邸で記者団に、米格付け機関ムーディーズ・インベスターズ・サービスが日本国債の格付け見通しを引き下げたことに関連して「社会保障と税の一体改革をしっかり実行することが、国債の格付け、市場の信認を獲得するうえで重要なことだ」と述べ、あらためて6月の成案取りまとめへの決意を語った。(以下略)

「社会保障と税の一体改革の実行が重要=国債の格付け見通し下げで首相」(ロイター:2011年2月22日)

やはり或るものが抜けてるな。
「役人たち」の身代わりとして民主党もろとも選挙民から矢玉を浴びて死にたい、と(繰り返し)いうわけだ。首相になれたしもう思い残すこともなかろう、あの男は。
維新だ革命だなんぞと浮かれ騒いでた有象無象もはよう消えた方が日本のためだしな。・・・なに?まだやってんのかい?ウソだろ、おい。

今日はこのタイトルだけ書きたかったので無理矢理こさえたよ。いずれ「首相になりたかった男」というタイトルでも書くかもしれんが、あの名前を使わずに書かねばならんので難しいな。やめよか。

んじゃ。

追記:
と、書いてはみたものの、考えてみれば万一遅まきながらの行政改革!だとかなんとか言い出したところで出来もしないわけで、政府与党はどのみち「終わってる」わけだ。もう詰んでいるのに投了せずにゲームをつづけているようなものだな。そのうち「国民」に八つ当たりしだすんじゃないか。いずれにせよこういう生々しいことについてアレコレかくのは確かに馬鹿らしいことである。それよりも、太平洋戦争末期の日本の四苦八苦ぶりに関する記録でも読んでいる方が今はよほど面白い。歴史は繰り返す。

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