求道blog

国及び地方の長期債務(1970〜2010)に関するグラフ

Posted in DATA by UBSGW on 2010年6月28日

国及び地方の長期債務残高と対GDP比(1970年〜2010年)

財務省の「財政関係基礎データ(平成22年3月)」 ((http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/siryou/sy_new.htm)) の古くさいHTMLとPDFのページを見てもさっぱり内容がつかめないので、そのデータをもとに日本の国・地方の長期債務残高(=各種国債の発行残高と借入金残高の合計)についてgoogleドキュメントを使ってグラフ化してみた。画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

国及び地方の長期債務残高

国及び地方の長期債務残高(1970_2010)画像

国及び地方長期債務の対GDP比 ((GDPは平成20年度までは実績値、21年度は実績見込み、22年度は政府見通し。 ))

国及び地方長期債務の対GDP比画像

なお、このてのグラフは、タイムスパンのとり方次第で読み手に与える印象が結構 かなりちがう。そこで、かつて国債の紙くず化を茶化した「ニッポンの未来」を書いた私としては、1885年から2010年までの政府債務残高推移 (( 岩本康志氏のブログエントリ「国の借金973兆円」 ))がたいへん興味深く思われたことを念のため記しておくことにする。

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ただの読書メモ

Posted in 備忘録 by UBSGW on 2007年9月16日

今日はメモ代わりに最近読んだ本を列挙してみる。

  • 村上春樹  『神の子どもたちはみな踊る』『アフターダーク』『ノルウェイの森』『羊をめぐる冒険』
  • バルザック 『ゴリオ爺さん』
  • カフカ 『変身』
  • D・ポイカート 『ワイマル共和国』

どれもこれも思いつくまま気の向くままに濫読しただけのことだが、唯一姿勢を正して(ただし寝転んで)読んだのがポイカートの『ワイマル共和国』。十数年ぶりに読み返してみたことになるわけだが、1920年代のドイツと21世紀初頭日本との相似性に目を瞠った。いまさらではあるが。

一部分だけ引用してみる。

公的に保障された福祉の拡充という成功物語には、きわめて問題のあるバランスシートの一面も対応していた。というのも、社会的扶助の官僚制化と標準化にともない、社会的規律化の圧力が高まり、社会的援助は非人格化されていったからである。そのうえ、致命的なことに、世界経済恐慌のなかで、経済循環にそって展開された国家の社会的活動の限界が明らかになった。つまり、好景気のときには、社会的給付の要請が相対的に少ないのに、その拡充のための財源があるが、反対に、国家による社会政策的介入が緊急に必要とされる恐慌の時代には、国家は節約と給付の削減を余儀なくされたのである。

『ワイマル共和国 — 古典的近代の危機』 p112

そこで言われていることはあっけないこと。じつにあっけない。そりゃそうだわな、といったところ。「じゃあどうして・・・」と言いたくもあるが。世界は常に不変である、か?と皮肉とも自嘲ともつかぬ言葉を漏らしたくもなる。

前世紀後半、世界を怯えさせた東西対立。人類を数百回絶滅させ得るほどの核兵器。かわって今は世界中の商品を買い入れてもまだあり余るほどのマネーの洪水。使えない兵器、使いきれぬほどのマネーを抱えてあるときは恐怖しまたあるときは右往左往する人間たち。恐怖も慾望も限りを知らぬ。使えぬマネーをクルクル回して金利とかいう「安心(?)」を買う。そして慾望は募るばかり。雪だるま式とはこのことか。効率化という掛け声に覆われた世界が陥った大いなる無駄づかい。人間ばかりが擦り減ってゆく。

「人間喜劇」(@バルザック)

ぅおおぅ、、ここはどこ?

ポイカートを読みながら思ったことがひとつ。
どれほど客観的データを満載した論説も、それだけでは信用しかねる、ということ。

ときに煩わしいほどデータを盛り込んだ論説がある。が、どうも私にはそのような論に説得力感じることが出来ない。自説を補強するデータばかりを持ってくる論説。数字ばかりで「言いたいこと」がまるで見えない論説、ああでもあるがこうでもあるとデータの解説で終わってしまう論説、いくらもある。

積み上げるばかりではなく、ときには自らの飛躍を押さえ込むために客観的データを用いるという形の論じ方もあってよいのでは。むしろそちらが本道だと思うのだが。

一方で、悲憤慷慨するだけで終わる論説、論旨の見えない論説、屋上屋をチマチマ作るばかりの論説もある。これまた同様に読むことが苦痛となる。

畢竟、論者がどのようなところで自らの飛躍を自制しようとしているかが皆間見えたときにこそ、彼が信頼に足る論者かどうかが浮き彫りになるように私には思える(もちろんポイカートは私にとっては信頼するに足る論者であった)。

そんなことを考えた今日の天気は晴れのち混沌。

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(補足)国債の保有内訳について

Posted in 雑記 by UBSGW on 2007年1月16日

昨日書いた「ニッポンの未来」は、言うまでもなく事実を極端に簡略化した「フィクション」であり、かつ私自身が「戦争やろーよ!」と言いたいわけでもありません(なんだか書いていて気恥ずかしいが)。念のために国債の所有内訳について少しだけ調べてみましたのでここに記しておきます。
財務省のデータ(H18年速報値)によれば国債所有者の内訳の主なものはおおよそ次の通り。

・日本銀行
12%
・その他金融機関等
70%(※)
・家計
4%

(※)資料項目のうちの郵便貯金、銀行等、簡易生命保険、生損保、公的年金、年金基金の合計値
「今後の国債管理政策の課題」(財務省)[pdfファイル]

つまり既発国債の過半は国民が「直接」所有しているわけではない。しかし、これはいってみれば金融機関などを通じた間接所有と考えることができる。なんとなれば国債の紙クズ化による打撃が巡りめぐって最終的に落ち着くさきは結局のところ一人一人の個人であるからだ。
銀行への公的資金投入、なきに等しい預金利率、保険金の不払い、リストラ、ボーナスカット、公共サービスの質低下・・・。様々な形をとりながら結局は私たち自身がツケを精算することになる。

もっとも、いざ戦争となれば国民は国債の紙クズ化などという経済的被害どころでない深刻かつ甚大な被害を被ることは言うまでもない。

ついでに「国債とは?」(エキサイト・やさしい経済講座)

(2010年3月2日追記)
経済学者である岩本康志氏が戦前戦後を通じて(1885年〜)の政府債務残高の推移をまとめておられるのをWeb上で見つけたのでメモしておく。21世紀初頭にかけての政府債務残高激増を1945年までのそれと対比して「戦争」と表現されている。2008年までのグラフは「景気との戦争」、2010年までに更新・拡張したグラフは「国の借金973兆円」 〜岩本康志のブログ(外部リンク)。

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